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「泥中(庵)蔵六(でいちゅう(あん)ぞうろく)」は、2代目「真清水蔵六(ましみずぞうろく)」を襲名した京焼の名工です。 経年を感じさせる色合いの桐の共箱、四方桟蓋、特徴的な板目、革のかけ紐。青色の共布には銘印はなくシミ汚れが、元々の共布ではなかったのかも。茶道具と一緒に仕舞われていたもので、使用状況などは不明です。 蓋表に「色絵楓ノ図茶碗」、裏に「泥中蔵六造」の箱書きと「蔵六」の銘印(落款)が。 茶碗には、右に「泥中蔵六」、左に「作併画」と、作陶色絵ともに自らがといった意味でしょうか。ネット上の二代目の陶磁器作品の大半は青磁、白磁、染付、古伊賀写しなどで、多色の色絵作品はニ例程度と小例です。「作併画」は自らの絵付けを強調した書き付けと思われ、二代目の希少で価値のある色絵作品かも分かりません。 大きさ(㌢)重さはおよそ次の通り。 口径(外)12(内)11.5、高さ7.1、 高台0.7、高台径5/重さ210㌘/ 共箱13.5角、高さ10.2/ 二代目「真清水蔵六」の経年100年前後の骨董で希少な色絵茶碗です。製造由来の若干の傷以外汚れや損傷はほぼ見られません。茶道具としてお使いいただければ幸いです。 以下『』はネット記事の引用、参考にしていただければ幸いです。 『初代「真清水蔵六」は、1822年山城国乙訓郡(京都市)で清水家の三男として生まれる。十三歳から陶芸を学び、二十一歳で五条坂に開窯、名を蔵六と改名。後に「真」の字を賜り真清水に改姓。玄々斎宗室に茶を学び、宗缶の印を授かる。 明治初年政府の奨励を受け外国博覧会に出品、また貿易に従事し国外向けに色絵・金欄手を、国内向けとしては青磁・染付を手掛けたが、抹茶器を最も得意とした。 自ら好んだ製器には宗缶の二字の印を用いたが、多くは蔵六の印を捺した。享年五十六歳。 二代「真清水蔵六」1861~1936年(昭11)は、幼名を寿太郎、名を春太郎・蔵六、号は春泉・泥中庵。 父が逝去して以後は母・チカの指導の下に陶業に励み、明治15年二代目襲名。同17年京都博覧会で褒状、奈良の南都博覧会で一等金賞を受賞。 大正6年に京都市山科区に移窯、昭和5年には京都市西京区に移窯。 青磁、白磁、染付、三島手等の作風を得意とする。内外の古陶磁に造詣が深く、古陶磁の鑑識にも優れる。18歳より「春泉」印、25歳以後は「蔵六」印を用いる。』
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「泥中(庵)蔵六(でいちゅう(あん)ぞうろく)」は、2代目「真清水蔵六(ましみずぞうろく)」を襲名した京焼の名工です。
経年を感じさせる色合いの桐の共箱、四方桟蓋、特徴的な板目、革のかけ紐。青色の共布には銘印はなくシミ汚れが、元々の共布ではなかったのかも。茶道具と一緒に仕舞われていたもので、使用状況などは不明です。
蓋表に「色絵楓ノ図茶碗」、裏に「泥中蔵六造」の箱書きと「蔵六」の銘印(落款)が。
茶碗には、右に「泥中蔵六」、左に「作併画」と、作陶色絵ともに自らがといった意味でしょうか。ネット上の二代目の陶磁器作品の大半は青磁、白磁、染付、古伊賀写しなどで、多色の色絵作品はニ例程度と小例です。「作併画」は自らの絵付けを強調した書き付けと思われ、二代目の希少で価値のある色絵作品かも分かりません。
大きさ(㌢)重さはおよそ次の通り。
口径(外)12(内)11.5、高さ7.1、
高台0.7、高台径5/重さ210㌘/
共箱13.5角、高さ10.2/
二代目「真清水蔵六」の経年100年前後の骨董で希少な色絵茶碗です。製造由来の若干の傷以外汚れや損傷はほぼ見られません。茶道具としてお使いいただければ幸いです。
以下『』はネット記事の引用、参考にしていただければ幸いです。
『初代「真清水蔵六」は、1822年山城国乙訓郡(京都市)で清水家の三男として生まれる。十三歳から陶芸を学び、二十一歳で五条坂に開窯、名を蔵六と改名。後に「真」の字を賜り真清水に改姓。玄々斎宗室に茶を学び、宗缶の印を授かる。
明治初年政府の奨励を受け外国博覧会に出品、また貿易に従事し国外向けに色絵・金欄手を、国内向けとしては青磁・染付を手掛けたが、抹茶器を最も得意とした。
自ら好んだ製器には宗缶の二字の印を用いたが、多くは蔵六の印を捺した。享年五十六歳。
二代「真清水蔵六」1861~1936年(昭11)は、幼名を寿太郎、名を春太郎・蔵六、号は春泉・泥中庵。
父が逝去して以後は母・チカの指導の下に陶業に励み、明治15年二代目襲名。同17年京都博覧会で褒状、奈良の南都博覧会で一等金賞を受賞。
大正6年に京都市山科区に移窯、昭和5年には京都市西京区に移窯。
青磁、白磁、染付、三島手等の作風を得意とする。内外の古陶磁に造詣が深く、古陶磁の鑑識にも優れる。18歳より「春泉」印、25歳以後は「蔵六」印を用いる。』
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